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最高裁判所第一小法廷 昭和56年(オ)57号 判決

上告人

株式会社協和銀行

右代表者

山中鉄夫

右訴訟代理人

中村健太郎

中村健

被上告人

梅田電機株式会社

右代表者

絹谷勇

右訴訟代理人

中里榮治

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人中村健太郎、同中村健の上告理由第一点について

原審が適法に確定したところによれば、(1) 上告人は、被上告人との間の本件当座勘定取引契約において、被上告人が当座勘定取引用として届け出た印鑑(以下「本件取引印」という。)が押捺された手形、小切手について被上告人の当座預金から支払をすることの委託を受けるとともに、偽造にかかる手形、小切手についてはその支払をしてはならないとの債務を負担していた、(2) ところが、上告人は、本件取引印ではなく、本件当座勘定取引契約の締結及び本件取引印の届出に際して使用された被上告人の実印(以下「本件実印」という。)が押捺された偽造にかかる手形、小切手四通(以下「本件手形、小切手」という。)について、うち二通については実印が押捺されていれば本件取引印が押捺されていなくてもよいとして印鑑照合手続をしたうえ、いずれも被上告人に対して支払委託の意思を照会することなくその当座預金から支払をした、というのである。

右事実によれば、本件当座勘定取引契約においては、少なくとも日常的な手形、小切手の取引は本件取引印のみで行う趣旨であつたということができるから、上告人が、たとえ本件実印が押捺されているとはいえ、本件取引印の押捺されていない偽造にかかる本件手形、小切手の支払をしたことは、本件当座勘定取引契約に基づいて被上告人に対して負担する前記債務の不履行にあたり、しかも、右支払に際して被上告人に対しとくに支払委託の意思を照会していない以上、右債務の不履行について過失のあることを免れえないものといわなければならない。右と同旨の原審の判断は正当であつて、その過程に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第三点について

民法四一八条は、「債務ノ不履行ニ関シ債権者ニ過失アリタルトキハ裁判所ハ損害賠償ノ責任及ヒ其金額ヲ定ムルニ付キ之ヲ斟酌ス」と定めるところ、ここに「債権者ニ過失アリタルトキ」とは、債権者自身に故意・過失があつたときだけでなく、受領補助者その他取引観念上債権者と同視すべき者に故意・過失があつたときも含むと解するのが相当である。これを本件についてみると、原審が適法に確定したところによれば、(1) 本件手形、小切手は、本件当座勘定取引契約の当事者である被上告人の経理担当事務員であつた酒井美智子が、被上告人の大金庫に保管されていた手形、小切手用紙とダイヤル式手提金庫に入れて被上告人代表者の机の引出しに保管されていた本件実印とを冒用して偽造したものである、(2) 酒井は、被上告人の売掛金、買掛金等の記帳、集計、小口現金払等の業務を担当するほか、被上告人名義の手形、小切手の振出についても、請求書等に基づいて本件取引印を押捺する以外のすべての事務を担当し、最後に被上告人の代表者に帳簿、請求書に基づいて説明したうえ、右代表者みずから本件取引印を押捺して振出行為を完成するのが通常であつた、(3) 被上告人の代表者は、本件実印をダイヤル式手提金庫に入れて自己の机の引出しに鍵をかけて保管し、その鍵を手形、小切手用紙とともにダイヤル及び鍵付大金庫の中に保管していたが、酒井は、右手提金庫及び大金庫のダイヤルナンバーを記憶し、かつ、常に大金庫の鍵を所持していた、(4) 酒井は、本件手形、小切手を偽造するよりも以前から被上告人の代表者と特別の関係にあり、また、右代表者の指示に基づき休眠会社を買収してその代表者に就任したりしていた、というのである。

右事実によれば、酒井は、被上告人名義の手形、小切手の振出に関しては、被上告人の経理担当事務員として、右手形、小切手に本件取引印を押捺することを除きその余の一切の事務を処理していたもので、本件当座勘定取引契約に基づいて具体的に被上告人名義の手形、小切手の支払委託に関する債権債務関係を発生せしめるについては、右支払委託者である被上告人の補助者としてこれに関与する立場にあつたことが明らかであり、しかも、酒井は、右のような立場を利用して本件手形、小切手を偽造し、本件当座勘定取引契約に基づく具体的な支払委託の債権債務関係を発生せしめたのであるから、上告人において本件手形、小切手の支払をしたことが本件当座勘定取引契約上の債務不履行にあたり、かつ、それについて上告人に過失のあることを免れえないとしても、これに対しては被上告人の補助者である酒井がした本件手形、小切手の偽造が直接的な原因を与えたものといわざるをえず、したがつて、上告人の右債務不履行に基づく損害賠償責任の有無及びその金額を算定するにあたつては、酒井の右行為を取引観念上債権者である被上告人と同視すべき者の有責行為として斟酌しなければならないものと解するのが相当である。

しかるに、原審は、上告人の過失相殺の主張について判断するにあたつては、被上告人の代表者は、酒井を信頼するの余り被上告人の経理面の細部を専ら同女に任せきりにしてその監督を十分にせず、手形、小切手の振出状況についても、上告人から定期的に送付されてくる当座勘定元帳写や当座勘定照合表によりこれを把握することを怠つていたものとし、右のような被上告人代表者のみの過失を斟酌して、上告人が前記債務不履行によつて負担すべき損害額から本件(二)、(三)の小切手については一割五分、本件(四)の小切手については三割を減額するにとどまり、取引観念上債権者である被上告人と同視すべき立場にある酒井が本件手形、小切手を偽造し上告人の債務不履行に対して直接的な原因を与えたこと自体についてはなんら斟酌した形跡がないのであつて、原審の右判断には、過失相殺に関する民法の解釈適用を誤り、ひいて理由不備の違法があるものといわなければならない。したがつて、右と同旨に帰する論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。そして、本件については更に審理させる必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。

よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(谷口正孝 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 和田誠一)

上告代理人中村健大郎、同中村健の上告理由

第一点 原判決は債務不履行における過失に関し、法令の解釈を誤り、本件手形・小切手の支払について上告人に過失を認定した違法がある。

一、本件手形・小切手の支払に関し、原判決が認定した事実はつぎのとおりである。

(1) 本件手形・小切手には、いずれもすでに上告人に届け出られている法人印章、記名判および被上告人の法務局への届出印(以下実印という)が押捺されていた。

(2) 別紙目録(一)の手形(以下単に手形・小切手の符号のみを記す)は受取人明昌特殊産業株式会社が、(三)の小切手は所持人松本観光株式会社が、それぞれ取引銀行を通じて取立てに回し、交換払いされたものであり、(二)の小切手は上告人福島支店において同支店の絹谷勇(被上告人代表者)の普通預金口座に入金することによつて支払われた後、同日同金額が同口座から出金され、同支店の酒井未知代名義の普通預金口座に入金されたうえ、さらに同日住友銀行神戸支店の堤商事株式会社の普通預金口座へ送金され、(四)の小切手は住友銀行三鷹支店へ受取人山崎慶子として送金されることによつて支払われた。

(3) 上告人福島支店の支払に際しては、(一)(三)の手形・小切手については係員横井省造が、(二)の小切手については係員宮里和子が印鑑照合をしたが((四)の小切手の印鑑照合については明らかでない)、本件手形・小切手はいずれも同支店が交付した手形・小切手用紙に右(1)の法人印章、記名判、実印が押捺され、右実印は同支店への印鑑届出書に使用されていたので、実印が使用されておれば問題はないものとして照合手続を終えた。

(4) 本件手形・小切手の要件に不備はなく、事故届も出されておらず、被上告人は上告人福島支店にとつてかなり大口の取引先であり、右手形・小切手の額面金額は不自然と思われるほど高額ではないことその他右手形・小切手には印影の点を除き、偽造を疑わせるような事情はなかつた。

(5) (二)(四)の小切手は、被上告人経理担当主任として手形、小切手の振出事務を担当し、上告人福島支店へ度々来店していた訴外酒井美智子(以下単に酒井という)が自ら店頭において呈示および右支払の手続をした。

二、原判決は、右事実のもとに、上告人に債務不履行についてつぎのとおり過失があつたことを認定した。すなわち、

「銀行の手形・小切手の当座勘定取引においては、その取引約定書によつて明らかなように、所定の手形・小切手用紙と銀行取引印(届出印)とに基づいて行われ、銀行が偽造、変造の小切手を支払つた場合の免責の規定も、右用紙、届出印について規定されている」とし、実印については「もちろん、実印は、当座勘定取引においても、取引開始時及び取引印喪失による改印の時にあつては、本人確認を行ううえで重要な働きをなしその意味で基本的な印形ともいえるけれども、それは取引開始時及び取引喪失による改印時に限られ、いわば一過的なもので、それ以外の通常の取引にあつては、手形・小切手はもちろん、住所変更、代表者変更等の届出に至るまですべて取引印のみで行われ、取引印は銀行、取引先の双方にとつて実印以上に重要な価値を有しているものである。……」。したがつて「銀行としては、所定の手形・小切手用紙が使用され、届出た法人印章、記名判が押捺されていても押捺された印影が銀行取引印でない以上、それがたとえ実印であつたとしても支払をなすべきではなく……照会により取引先の支払委託の意思が確認されたときに限つて支払うべきものである。」と判示している。

三、しかしながら右の実印の重要性についての解釈は、一般の銀行取引の通念にてらし明らかに誤つており、原判決の右認定は本件当座勘定契約において銀行が委託されたところに従い要求される注意義務の限度をこえて上告人の過失を認定した違法がある。すなわち、

(一) 会社代表者の実印は、法務局に登録された会社の最も重要な印鑑として会社の重要な取引行為に使用され、日常頻繁に使用されるものではない。したがつて、第一審判決も認めるとおり、通常、銀行取引印は経理担当者に預託することはあつても、会社代表者の実印は会社代表者自身が所持すべきものであり、実印の保管には銀行取引印の保管と同等あるいはそれ以上の注意義務を要するものである。したがつて実印を使用することによる手形・小切手の偽造は取引印を使用することによる偽造と同等あるいはそれ以上に困難であるというべきであり、その反作用として、実印が押捺されていれば、その手形・小切手は取引印が押捺されている手形・小切手と同等あるいはそれ以上の真正に成立したことの推定が働いているものというべきである。

(二) そこで本件手形・小切手の支払について考察する。

本件手形・小切手は、第一項に記載した原判決認定のように特に偽造を疑わせるような事情のない状況のもとにおいて支払われたものであるが、さらに、①本件手形・小切手には届出の取引印は押捺されていなかつたものの実印が押捺されていたこと、②本件実印は当座勘定約定書に押捺され、したがつて印鑑届出書において本件取引印の根拠をなしているとともに届出印を改印すべき効力を有し、取引中に住所変更、代表者変更(乙第三号証)等の届出に使用されること(この点に関する原判決――判決書六枚目裏――の見解は誤つている)、③本件実印は印鑑届出書(乙第四号証)裏面に押捺されていて本件手形・小切手に押捺されている実印と直ちに照合することが可能であること、④本件手形・小切手には実印のほか届出の法人印章、記名判が押捺されていたこと(原判決は法人印、記名判も印鑑照合の対象となることを認めている)等の事情が認められる。そのため、上告人の係員は本件手形・小切手に押捺された各印影が印鑑届出書の法人印、記名判および裏面の実印にそれぞれ一致したのを確認のうえ前記支払をなしたものであるが、右支払は、前記の各事実および諸事情、ならびに前(一)記載の一般の取引通念に照らすと、上告人係員において本件手形・小切手が真正に振出されたものと信じ、取引先である被上告人に照会せずに支払をなしたとしても、右支払つたことにつき過失はなかつたというべきである。

すなわち、取引先に対する照会は、手形・小切手に偽造等を疑わせるような事情がある場合、取引先の支払委託の意思を確認するために行われるものであるが、本件の場合前記のとおり実印が押捺された点を除き何ら偽造を疑わせるような事情はなくまた実印が押捺されていた点についても前記主張のとおりであるから、本件において上告人が被上告人に対し右の照会をしなかつたとしても、上告人には本件契約上の債務不履行について責に帰すべき事由(過失)はなかつたことが明らかである。

よつて、本件手形・小切手の支払について、上告人は本件当座勘定契約によつて委託された支払事務を行うにあたり、銀行として一般要求される相当の注意義務を怠つたものということはできず、上告人に過失を認め、債務不履行の責任を認定した原判決は、当座勘定契約によつて委託される銀行の注意義務について法令の解釈を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

(三) さらに(二)の小切手についてはつぎのような事情がある(原判決書七枚目裏)。

(1) 酒井が直接上告人福島支店の店頭へ持参し呈示したこと。

(2) 酒井は被上告人の当座取引、貸付、手形割引に関し、度々上告人福島支店に来店していたこと。

(3) 酒井は(二)の小切手につき支払を受けた金員を被上告人代表者絹谷勇個人名義の普通預金口座に振替入金し、更に持参していた絹谷勇の届出印鑑をもつて払戻手続をしたこと。

すなわち、右小切手が被上告人代表者絹谷勇の指示により呈示されたものであることを認めさせるに十分な事実があつたものであり、酒井の総務部経理担当主任としての地位および担当業務、さらに同人と被上告人代表者との関係(原判決が引用する第一審判決によれば、①昭和四二年ごろから肉体関係を有し、個人的にも親しく、また秘書的立場にあつたこと、②絹谷の指示により休眠会社を買収し、その商号を変更した株式会社エムアイ商会の経営にあたつていたこと、③同会社で購入した京都市内の土地建物を被上告人が賃借するとともに、被上告人の上告人に対する債務を担保するため右物件に根抵当権を設定したこと、④酒井の夫名義の土地建物に、被上告人の上告人に対する債務を担保するため根抵当権を設定していたこと等の関係で、上告人はこれらの事実を右肉体関係の点を除き知悉していた)を総合すれば、特に(二)の小切手を支払つたことについて、上告人に過失がなかつたことは明らかであるといわなければならない。よつて、上告銀行に過失を認めた原判決は、前記(二)のとおり過失に関する法令の解釈を誤つたものであるが、特に(二)の小切手の支払について、当座勘定契約における過失の解釈をより一層誤つた違法があるというべきである。

第二点 原判決には上告人の主張に対し何らの判断を示さなかつた審理不尽、理由不備の違法がある。〈省略〉

第三点 原判決は過失相殺に関する解釈を誤り、その法則に違反した違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。なお、本主張は理由第一点(上告人の無過失)に対する予備的な主張である。

一、債務不履行に関する過失相殺(民法第四一八条)は損害賠償制度を指導する公平の原則と債権関係を支配する信義則との具体的な一顕現である。けだし、自分の不注意によつて生じた損害を他人に転嫁することは損害賠償理論の許さないところであるのみならず、債務の履行が完全に行われるよう債権者もまた協力すべきことは信義則の要求するところだからである。

したがつて債権者に過失が認められる場合、債務者の賠償責任を否定すべきかどうか、またいかなる範囲に軽減すべきかは、債権者債務者の両方における故意過失の大小、その原因としての強弱、その他諸般の事情を考慮し、公平の原則に照し、これを決定すべきものである。

二、債権者の過失の基礎となる事実として、原判決(その引用する第一審判決を含む)が摘示しているところはつぎのとおりである。すなわち、

(一) 各手形・小切手共通の事情として、

① 本件実印は被上告人代表者の机の引出しの中のダイヤル式手堤金庫の中に入れて鍵をかけて保管され、本件法人印、記名判、手形用紙、小切手用紙は右机の引出しの鍵とともにダイヤルおよび鍵付大金庫の中に保管されていたが、酒井は昭和四四年末ごろから右手提金庫および大金庫のダイヤルナンバーを記憶しており、且つ大金庫の鍵は酒井が常に所持していた。したがつて、経理担当主任たる酒井が、手形帳、小切手帳から手形用紙、小切手用紙を抜き取り、法人印、記名判はもちろん本件実印を冒用することは容易になし得る状況にあつた。

② 被上告人代表者は昭和四二年ごろより酒井と肉体関係を有し、同人に秘書的役割をも担当させるなどしていた。なお、実印の保管場所であるダイヤル式手提金庫のナンバーを知らされていたのは酒井のみで、酒井の上司たる角本尚文(昭和四四年ごろから総務部長、同四八年から取締役総務部長)も右ナンバーを知らされていなかつた。

③ 被上告人代表者は酒井を信用するあまり、被上告人の経理面の細部についてはもつぱら酒井に任せきりにして、自らまたは酒井の上司を通じての監督を十分になさず、手形・小切手の振出状況についても、毎月の決算を示す月次試算表(各取引銀行口座の残高一覧表が記載されている)に目を通すだけで、上告人等各取引銀行から定期的に送付されてくる当座勘定元帳や当座勘定照合表(当座勘定の残高のみならず受払の明細が記載されている)を見て当座勘定の受払の明細をみずからチェックしまたは酒井の上司をしてチェックさせることもせず、手形・小切手の振出等の状況の把握を怠つていた。

④ 右を怠らなければ(一)の手形(これについては損害の発生はない)について酒井の不正を発見し得て、(二)ないし(四)の小切手の偽造を未然に防止し得た。

等の事実が認定されており、さらに、

肉体関係を有していた点については昭和四八年一二月二四日(四)の小切手の不正が発覚した後も続き、昭和四九年二月ごろまで関係があつた(被上告人代表者の原審における尋問調書昭和五三年二月一六日分二八、二九枚目)という、むしろ監督責任者としての立場をまつたく放棄していたと認められるほど親密な関係にあつたこと、昭和四五年五月ごろ被上告人代表者の指示により休眠会社を買収して株式会社エムアイ商会(酒井と絹谷の名の頭文字をつけたもの)と名称を変更し、同会社の代表者に酒井を就任させその経営にあたらせたこと、被上告人は右エムアイ商会の土地建物を賃借するとともに同物件に被上告人の上告人に対する債務の担保として根抵当権を設定させたこと、さらに酒井の夫名義の土地建物に同債務の担保として上告人に対し根抵当権を設定したこと(以上ないしは原判決の引用する第一審判決において認定)等、酒井は被上告人の従業員というよりはむしろ共同経営者的立場にあり、被上告人において代表者と酒井の間に監督関係があつたというよりはむしろ酒井に経理面をすべて任せきりにしていたと認められるのである。

(二) 次に別紙目録(二)の小切手に特別な事情として、

上告人福島支店における被上告人代表者個人の普通預金について、その出し入れを酒井にさせたり、印鑑、通帳を会社の金庫に保管し、同人に容易に持ち出せる状態においていたことにより、酒井をして右小切手が前記のとおり被上告人代表者の指示により呈示されたものであることをうかがわせるに十分な手続をとらせることを可能にしたことが明らかである。

(三) さらに別紙目録(四)の小切手に特別の事情として、原判決によると、① 被上告人においては、偽造行使の約一カ月以前より、すでに、被上告人の会計に不足金のあることおよび右が酒井の不正行為によることに疑いを抱き、同人に監視人をつけて調査を進めている間のできごとであること。

② したがつて右小切手の偽造行使を未然に防止することは容易であつたこと。

③ それにもかかわらず監視人の監視が不十分であつたこと。

④ しかも上告人に何ら届出がなされなかつたこと(争いのない事実)。

が認められる。

三、右各事実を前記公平の原則および信義則に照してみると、債権者たる被上告人には右各小切手の支払による損害の発生に関し、きわめて重大な過失があるというべきである。すなわち、被上告人の酒井に対する監督体制はきわめて不十分というよりむしろ被上告人代表者において酒井に対する監督を事実上放棄しているような関係にあつたというべきであり、債務の履行が完全に行われるように債権者として協力すべき信義則を完全に無視していたといわざるを得ない。そして右各事実によつて証明される被上告人および被上告人代表者の過失が、酒井の小切手偽造行使を誘発し、被上告人の被つた損害の発生に重大な加担をしたことが明白である。

これに対し、上告人が右小切手を支払つたことについては、上告理由第一点において述べたとおり無過失を主張しているものであるが、仮りに何らかの過失が認められるとしてもきわめて軽微であるというべきであり、本件損害の発生は、前記のとおりもつぱら被上告人の右の重大な過失に主たる原因があるものである。

しかるに原判決は、債権者たる被上告人に相殺されるべき過失があつたことを認めながら、その過失割合を(二)(三)の小切手について一割五分、(四)の小切手について三割と判断している。しかし債務不履行に関する過失相殺が損害賠償制度を指導する公平の原則と債権関係を支配する信義則の具体的あらわれであることに照らして前記の被上告人および被上告人代表者の過失を見た場合、原判決の右認定は過失相殺に関する法令の解釈を誤つた結果、右法則に違反して被上告人の過失をきわめて過少に認定した違法があるといわなければならず、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

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